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2007年9月

2007年9月13日 (木)

安倍首相の辞意に思う

9月12日の安倍首相突然の辞意表明は、与野党を問わず政治家、国民、そして世界各国に至るまでの大きな衝撃であった。翌日から、マスコミ各社、評論家など多くの意見と主張が飛び交っているが、私は「健康上の理由」や「テロ特別措置法への対応の限界」など、辞意の理由は首相自身の説明以上のものはないと思っている。私自身もブログでいくら辞意の原因を分析しても、現実に一国の首相が辞任した事実は何も変わらないからである。むしろいくつもの憶測が飛び交うことになりそれが次の政局に大きな影響を及ぼす議論に発展することにもなり、今は冷静に日本の国の現実と将来を見つめなければならない時だと深く思うのである。

いうまでもなく安倍首相を選んだのは、多数の自民党議員や自民党員であると同時に国民自身でもある。またこの参議院選挙で政権与党に「やいと」を据え民主党をはじめとする野党に過半数を与えたのも国民自身である。こうした中で、安倍首相が辞任した訳だが、ポスト安倍首相、またそれに対抗する民主党も含め、日本の政治は次代の課題に対して新たな政治のあり方を模索し構築しなければならない段階に入ったと見るべきであろう。

政権交代と叫ぶだけでは解決しきれない国内外の課題は、首相を中心として「国民のため」という政治の原点に与野党結集し対処しなければならない時代なのだ。しかし現実の国政では、権力闘争に明け暮れている姿しか国民には写っていないのではないだろうか。安倍首相が折りしも、辞意直前にテロ特措法延長に際し、民主党の小沢党首に「会見」を申し込んだ経過があったが、政治手法の是非はともかくとして、『合意形成』がなぜ図れなかったのか極めて残念である

新しい次代のリーダシップを考える時、イデオロギーの対立時代は終わったことを深く認識し、多様化する価値観を合意させる力が次期首相には必要なのである。「自民党をぶっ潰す」と言って国民的首相に就任した小泉前首相の対立軸は、「古い自民党」であった。それは戦後政治そのものに対する改革を断行する国民の願望でもあった。その後、小泉首相を支えてきた安倍首相は、その小泉政治の理念と手法を引き継ぎ首相官邸主導の政治を貫こうとした。対立軸を作り政治を行う手法は、55年体制のイデオロギー政治と類似するものである。しかし国民大衆の意識の底には、新しい時代に対応する政治の確立を求めるの命脈がすこしずつ芽生えはじめてきたことを認識していたのかどうか疑問である。一国の首相に対し失礼を省みず言うとすれば、安倍首相の最大の欠点はまずは、自民党内の合意形成を図る努力を怠ったということである。そして首相官邸主導の政治の限界を熟知していなかったということである。首相は自民党の総裁でもなければ、与党の旗頭でもない。『国民自身』なのである今夏の参議院選挙結果は、まさに次代の政治のあり方を具体的に政治がどのように創り上げていくかという大きな宿題を国民から与えられたのだ。その意味でも今までの政治手法から見ても決して合意形成型の政治家とは言えない民主党の小沢党首のリーダーシップも、今後低下すると私は見ている。これからは「民意」「合意形成」が大きなテーマとなる時代に益々なるであろう。だからこそ、国民に対し情報公開と説明責任が求められるのであり、そこに一方通行でない合意形成型の政治が求められるのである。

2007年9月12日 (水)

代表質問

9月10日と11日には、各派代表制による一般質問が行われました。公明党からは谷口弘昌議員(伏見区)湯浅光彦議員(右京区)が公明党市会議員団を代表して質問に登壇しました。

谷口議員は、市政改革・経営戦略・人材育成方針・地球温暖化対策・教育問題・住宅問題を中心に質問を行いました。また湯浅議員は、市立病院の今後のあり方・病院事業管理者の新設・新景観政策の検証システムの構築・分譲マンション対策・自転車駐輪場設置拡充・家庭ゴミ有料指定袋などについて質問を行いました。

住宅政策では、単身者多回数抽選は、一般家庭の抽選と比較し、1年間で2倍の格差があり不平等との指摘で、次回から単身者多回数抽選は12回ではないく、9回で適用することが決定しました。また新景観政策では、京都市が全国に先駆けてモデルとなる経済効果など様々な分析手法を用いて検証システムを構築することが市長の答弁で表明されました。

2007年9月 9日 (日)

京都レインボーフェスティバルin久世

今回で24回目となる「京都レインボーフェスティバルin久世2007」が私の地元久世地域の、桂川リバー公園で開催され、私も来賓として角替豊府会議員(府本部代表)とともにオープニングセレモニーに出席しました。

地域の町衆の思いを結集するゴリラ白虎山車は、このまつりの言わばシンボルです。ここ何年もの間、新川周辺の街がよりよくなっていくことを見守ってくれているようです。私も挨拶の中で「井戸の水を飲むときは、井戸を掘った人のことを忘れてはならない」という中国の諺を引用し、このまつりを最初に企画し数々の困難を克服されて今日の運動を推進されてきた先人先哲の偉業に改めて感動したことを話しました。

京都市はこの9月1日から新しい景観政策をスタートさせましたが、私はいくら街が美しくなっても、河がきれいになっても、そこの住む「人間」を視点に置いたまちづくりを忘れた政策では意味がないことを痛感しています。町衆と政策の共有化は今や「協働力」として表現されていますが、コミュニティの希薄化が益々指摘されている現在、このレインボーフェスティバルの試みは、次代の政策実現の方途を示しているように思えてなりません。今回はさらに、「東九条マダン」が初出演することになりましたが、次の時代に向けても大きな意義があるものと思います。世代を超え、老若男女を超え、民族の壁を超えて、フェスティバルに参加されている多くの市民の皆さんと交流する中で、私はふと、過日「不適格マンション問題懇談会」の講演の中で高田光雄京都大学教授が言われた「『価値の調整』の時代から『価値の共有』の時代へ」という言葉を今一度思い出しました。人権差別の解決も利害を超えて「価値の共有化」がなされてはじめて議論の緒につくものだと思った一日でした。

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