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2023年6月 1日 (木)

政治家の資質

今春の統一地方選を機に、世代交代、女性活躍、少数意見の尊重等、新たな価値観の下に選択された民主主義の形がスタートしたが、有権者の期待をよそに、政治家の失言、パワハラ、セクハラ、選挙違反等、政治家の劣化もかなり深刻な状況になっている。
政治屋は次の選挙を考え、政治家は次の時代のことを考える」との名言を残したのは、アメリカの上院議員ジェイムズ・ポール・クラークであるが、SNS等により政治家が等身大により身近になってきた半面、政治家のより高い哲学が求められる時代に入ったといっても過言ではない。
ソクラテスの弟子であったプラトンは「国家論」の中で、「正しく真実に哲学する者が、政治的支配の地位につくか、現に権力を持っている人々が真実に哲学するようになるかいずれかが実現しない限りは、人類の不幸はやむことがないだろう」と言ったが、日本政治の未来を標榜する時、プラトンの言葉は一層重い意味を持って迫ってくる。
昨日、新聞を読んでいると、アメリカ独立宣言の起草者の一人であり建国の父と呼ばれるベンジャミン・フランクリンの言葉が目に止まった。それは政治家の守るべきものとして節制・沈黙・規律・決断・節約・勤勉・誠実・正義・中庸・清潔・平静・純潔・謙譲の13の徳が必要不可欠であるというものである。
また、イギリスのアルフレッド・マーシャルという学者は、「政治家に求められているのは、Cool Head & Warm Heart & Clean Hand(冷静な頭脳と温かい心ときれいな手)である」とも箴言しているが、このように政治家の資質に関する箴言は枚挙にいとまがない。古今東西を問わず、政治家は劣化しやすいのだろうか。

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