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2007年8月

2007年8月31日 (金)

ゆびきりネットワーク2号

Photo 今年の統一地方選挙では、新たな時代における政治活動の方向性について、柔軟かつ発想転換による行動が求められることを痛感しておりました。その後には、従来から暖めていた広報宣伝活動の第一弾として、広報車(市政広報広聴車)を新たにデビューさせ「ゆびきりネットワーク号」を名づけました。この度、これにデザインの改良を加え、「ゆびきりネットワーク2号」をデビューすることにしました。

話は飛躍するかもしれませんが、新景観政策の施行日は、2007年9月1日ですが、屋外広告物の規制もその中にありますが、動体広告物に関するものは、その方向性が示されていません。議論が以前からありました市バスの車体広告(ラッピングバス)もまた今後議論になるでしょう。そうしたことも見越して、今回デザインの改良を行った次第です。街で見かけたらお声かけくださいね。

2007年8月29日 (水)

安倍改造内閣

安倍首相が、参議院選挙の結果を受けて就任以来初めての内閣改造を27日に行った。組閣は、「人心一新、非常に大事な課題に取り組める」との太田代表の言にもあるように、経験豊富なベテランを起用し、実現力とともに、調整力を重きにおいた内閣になったようだ。特に参議院では与野党逆転している政治状況から、今後の国会運営においてその真価を大いに発揮してほしいものである。

国民は今回の参議院選挙で、民主党に参議院での政策決定権を与えたが、それは二大政党の緊張関係(政権交代可能な国会)に託したとも言える。そのことを思えば、今後自公連立政権は、民主党が力をもった参議院に、その力点を置くのではなく、政治の根幹である国民に置くべきなのだ。国民を忘れた政治は、早晩崩壊することは歴史の証明するところだ。国民の視点に立つとき、安倍内閣の未来も明るいと断言できる。国民に向って真摯に語っていく姿勢を堅持してほしい。

安倍首相は、内閣改造を受けての記者会見で、「失われた信頼を取り戻すために全力を尽くし、成果を上げたい」と発言し、なかでも閣僚が政治とカネをめぐる疑惑を持たれた場合には、「自分で十分な説明ができなければ内閣を去っていただく覚悟で閣僚になってもらっている」との発言を行っているが、私はこの発言に注目したい。

江戸時代後期の思想家である佐藤一斎は「天を動かし、地を驚かすような大事業も、すべて己一個より造り出されるものである」と至言を残している。また統一ドイツの哲人指導者ヴァイツゼッカー初代大統領は「結局のところ決定的に重要なのは、われわれすべての個人としての行動である」とも言っている。今回の内閣はどういう内閣なのか。閣僚一人ひとりが安倍総理でなくてはならないのである。国民にとって、閣僚が国民のために一騎当千の戦いに挑んでいく「未来へ挑戦する内閣」であってほしい。

2007年8月27日 (月)

議員夏季研修会

公明党京都府本部の議員夏季研修会が、8月26日京都市内で開催されました。これには党中央から北側一雄幹事長が出席し、参加者からの質問に答えながら、今後の公明党の路線の方向性や、議員の日常活動のあり方について語りました。

研修会の冒頭では、参議院選挙比例区で全国1位の100万票を超す得票の山本香苗参議院議員が挨拶に立ちました。厳しい選挙結果を踏まえ今後公明党の立党原点に立ち返り、現場第一主義で徹底して戦っていくとの決意の表明がありました。

議員研修会では、衆議院解散の動向、自公連立政権の今後の行方、公明党の路線問題、マニフェストと広報活動のあり方、教育政策や憲法問題の対応、負担増問題への対応など多岐にわたりました。なかでも今後の路線問題については、1999年の連立政権参加の際に確認をしたように、保守中道の政策軸を基本とした流れが世界及び時代の潮流であるという認識のもとに、わが国においては、二大政党政治に終焉することなく多党制、第三勢力の体制が今後も継続することを確認した。

私が、市会議員に当選したのは平成3年。この時、公明党は野党であった。さらに次には新進党の結党とにより政界再編の中で、一時公明党は政権与党となった。そして現在21世紀は自公で連立を組み政権与党の中にいる。政党の生命線は政策と理念である。その政策は実現してこそ意味のあります。公明党が先の参議院選挙結果を総括し新たな決意で出発するに当たり、政党の枠組みではなく、政策中心の政治の確立へ公明党が先頭に立って挑む時代が更に到来したことを痛感した。公明党の責任は一層重くなる時代である。北側幹事長が「連立は与党にあっても、野党には存在しない」という言葉が印象的であった。

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