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2007年9月

2007年9月30日 (日)

少数意見の尊重(マイノリテイー・パワー)

アルビン・トフラーの『第三の波の政治』の中の、「21世紀の民主主義」の中には、「少数意見の尊重」「半直接民主主義」「決定権の分散」という3つの原理が示されているが、今回は「少数意見の尊重」について述べることにしたい。少数意見というのは、言うまでもなく多数決という概念に対峙するものである。彼は著の中で「『多数決』という第二の波の正統的な政治の基本原理は、日に日に時代おくれとなっている」とし、「多数決の概念は、第二の波の社会の要請にぴったりと一致しており、大量生産・大量消費・大衆教育・マスメディア・大衆社会の政治的表現なのである」ということを指摘している。まさに時代は、彼が予見した通りになってきている。「市民参加・パブリックコメント・NPO」等の行政を取り巻くキーワードや、「民族・テロ」等に見られる軍事面におけるキーワードは、第二の波の政治では、まさに少数意見として削除抹殺されてきたカテゴリーであるが、彼は第三の波の政治においては、少数意見を尊重しなければならないとしている。

今、「格差」について論議を呼んでいるが、彼の論によれば、「多数決における第二の波の政治手法では、多数派は貧しい人々に、より公平な機会をもたらしてきた。それは貧しい人が多数派を占めてきたからだ」と指摘した上で、「第三の波の社会では、かならずしもそのようになっておらず、多くに国において、少数派になっている。第三の波の時代へ移行する社会においては、多数決は常に政党な原理とは言えない」と言っている。誤解されては困るが、私は現実に貧困者が多くなっている社会の実態を否定しているのでもなければ一部のお金持ちを擁護しているのでもない。格差問題の是正や解消策を、「少数意見の尊重」という新しい政治概念を基本に推進することの必要性を訴えたいのである。つまり少数意見力が時代を拓き創造するということである。私が以前から、プロセス民意や、合意形成ということについて強い意志を感じているのはそのためである。

2007年9月27日 (木)

第三の波の政治

未来学者のアルビン・トフラーとハイジ・トフラー夫妻が1995年に世に問うた書が「第三の波の政治」である。95年と言えばおりしもWindows95が一世を風靡している時代であり、情報化社会の幕開けでもあった。この書の中の序文で、トフラー夫妻は、農業革命(第一の波)から産業革命(第二の波)へ、そして来るべき第三の波とする情報化社会を迎えるにあたり、「今重要ななのは、民主党とか共和党かとか、左派とか右派とか、あるいはリベラルか保守派かといった問題ではない。必要なのは、廃れていく過去の保存と復活を願い、その延命工作に走る政治家と、『第三の波』の情報化社会への移行準備をすでに整えている政治家とを峻別することなのだ」と、第三の波の政治を志向することの重要性を説いている。

わが国における今の政治状況を考えると、12年前のトフラーの指摘は誠に示唆に富んでいる。日本の政治に今求められているのは、いうまでもなく、未来への道標である。ある政治学者の分析では、時代社会は40年周期で転換し変化していると言う。いわゆる「40年周期説」である。そしてその根拠はその時代の政治が国益(ナショナルポリシー)を何に置くかによるものだというのである。例を挙げると、明治維新は明治天皇のもとで明治憲法を制定し鎖国から脱却し国際化をポリシーとし政策を進めた。その結果は、明治時代は45年間続いたが明治政府は終わった。次の大正時代は富国強兵制をポリシーとし政策を進めた。その結果は、昭和20年には敗戦を見ることになる。よく見ると明治元年から昭和20年までちょうど80年。40年周期を2回繰り返したことになる。敗戦後のスタートは、政治からのスターではなく、経済復興をポリシーとしてのスタートであった。その後日本経済は高度成長時代を経験し世界一の経済大国となったものの、40年後にはバブル崩壊を経験することになる。

一方政治はどうか。昭和20年に遅れて10年、昭和30年に現在の政治体制の基礎ともなった自民党と社会党が誕生(55年体制)した。東西冷戦の影響を直接受けてイデオロギー政治がスタートしたが、40年後には、対立政治の主人公であった自民党と社会党が一緒に政権に組みするという歴史的な連立政権が誕生した。失われた10年と叫ばれて久しいが、この間日本の政治は21世紀の未来にどのような設計図を用意し民意を問うてきたのかと言えば甚だ寂しい限りである。京セラの稲盛氏は堺屋太一氏との対談で、「バブル崩壊後の40年のうち、すでに20年が経過しており失われた10年どころか、失われた20年である」と指摘している。

今夏の参議院選挙結果の総括や分析は、さまざまにされてきてはいるが、大きな文明の変化の波の中で、民意がどのように変化しているのかを今度の福田政権がどう認識して行動するのかを私は注目している。今こそ確かな未来設計図を描けなければ国民の不幸はまだ続くことになってしまう。失われた30年では済まされない。

2007年9月24日 (月)

福田首相誕生

安倍首相の突然の辞任により新しく福田康夫新首相が誕生することになった。福田氏は「話し合いの政治」というスタンスを基本に今後、混乱している国会の円滑な運営を図ろうとしている。

ある世代は文明を創造するために生まれ、ある世代は文明を維持するために生まれる」とは、「第三の波」を記した未来学者アルビン・トフラーの至言である。また平和学者のガルトゥウング博士は「Cool Heads & Warm Hearts(冷静な頭脳と熱い心)」という言葉を残しているが、福田首相は「文明を維持」するために誕生し、「頭を冷やして国民にためにしっかり仕事をせよ」との民意から誕生したのであろうと私は思っている。

ところでアルビン・トフラーの名著『第三の波』には、補完的な「第三の波の政治」という著がある。彼はその中の「21世紀の民主主義」の章で、新しい文明の政治体制を支える原理として「マイノリティーパワー(少数意見の尊重)」「半直接民主主義」「決定権の分散」という3つの原理を提起している。それぞれについては今後のブログで詳細に記したいと思っているが、福田首相の「話し合いの政治」は、この3つの原理の上に立脚したものであってほしいものだ。とりわけ半直接民主主義という概念は、選ばれた代表者への依存から、自分たち自身が代表となることへの転換こそ半直接民主主義である」とアルビン・トフラーが言っているように、従来型の政治体制や理念からの発想の転換を迫っている。新しい政権の基本理念もそうであってほしいと願っている。

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