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2015年5月31日 (日)

草の根音楽家(今日までの変遷)

夕日綺凛の音楽の履歴をご紹介しましょう。

中学1年、私が、音楽に目覚めた時。15歳年上の兄がギターやステレオを勝って音楽をやりはじめたことが大きなきっかけに。兄が買ったクラシックギター(ガットギター)は、兄はほとんど弾かなかったため、中学生の私のおもちゃに。NHKの教育番組である「テレビ・ギター教室」でクラシックギターの基礎を学び、初級、中級の講座を受けた。Cg182中学2年の折に、サイモン&ガーファンクルの曲に出会い衝撃を受け、友人といっしょにフォークバンドを結成し中学校の文化祭ではじめて演奏した。その時の演奏曲は「コンドルは飛んでゆく」だった。そして中学3年では、さらに磨きがかかり様々なフォークソングをやり始めた。特にスリーフィンガー奏法をマスターできたときは、うれしかった。2009041015531318e高校1年の時に、ついにガットギターを卒業し、当時手作りの名器と言われたYAMAHA18をアルバイト代で購入。それからは、カントリー・フォーク系の音楽にも傾倒。このころから友達の影響を受け、カントリーロックバンド、POCOの曲をコピーし演奏。

高校2年の時には、「学生街の喫茶店」でその後名を上げる「GARO(ガロ)」と出会う。この時は本当に衝撃だった。何せギターワークの素晴らしさは当然のこと、コーラスの素晴らしさは当時の日本では随一だったと思う。バンドを組んでいる友人のお兄さんからの紹介で、京都の円山音楽堂でのGAROのライブ圧巻だった。野外ライブは、成毛滋の前座で登場したのだが、今までの人生の中でこれほど衝撃を受けたことはなかった。Img_0 高校3年の時には、すでにジェットソン・スキッフル・バンドという名前のカントリーデュオを結成して活動し、高校3年生の卒業時には、郷里の市民センターでサヨナラコンサートを開催。その時にプロデュースしてもらったのが、後に交流が深くなる大阪で活動されていた大学生のグループ「三つの時」というバンドだった。

大学1年の時には、大学進学で友人も別の大学へ進学する中で、一時バンド活動が休止状態に。そんな時高校3年の時の「三つの時」のバンドのベースマンが、同じ大学の先輩であったことから授業が終わった時に、待ち伏せでバンド加入のスカウトを受けた。しばらく「三つの時」というグループで脇役補充のギタリスト(サイドヴォーカル)で参加。YAHAMAのポプコンの予選にも参加するとともに、和歌山の花王石鹸の音楽祭では男女混合のバンドローズウォーターというグループ名でも参加。

大学2年からは、大学通学の傍ら、レコード屋でアルバイト。ここで多くの音楽ジャンルを学ぶ機会に遭遇。ウエストコーストロック、フォークロック、ジャズ、演歌等も含め多くのジャンルの音楽を聴くことができた。後に、パイオニアから社員にどうかとスカウトされたくらいだった。

大学3年からは、今までギターだけが演奏できる楽器だったが、バンジョーとキーボードに挑戦。下宿のアパートの2階に、エレクトーンを購入して練習して近所からよく苦情を言われた。M_003c 大学4年~7年は、私の大学留年期間。しばらく音楽活動も休止するも、他大学の大の親友が下宿に泊まりに来た際に、ギター談義となりその彼が、フォークロックグループのAmericaやCrosby,Stills,Nash &Youngの大ファンで意気投合。深夜まで語り明かした。Crosby_stills_nash_and_young_1970 卒業後は、会社員でサラリーマン人生をスタート。

40歳には、念願のピアノKAWAI-PA40を購入し独学でピアノを学ぶ。鍵盤が木製でピアノと同様の質感とタッチが特徴のものだった。今でも愛器として弾いている。

45歳には、ひっとしたことからJazzの世界に。知人の多くが年配の方々で、Jazzのプレーヤーでもあったことからいろいろと学ばせてもらった。それがきっかけで遅咲きながらSaxphoneを独学でやり始め、Alto sax,Tenor sax,soprano saxまで挑戦。Img_3066 また、ジャズコーラスにも傾倒しとりわけFour freshmenを研究。楽器を弾きながらコーラスができるジャズヴォーカルグループは世界では稀であったため非常に魅力があった。世界の世界のファンクラブの日本支部に加入。1059c83b2b31d4f2e0fd10e91d6c73d5 また、これも友人との出会いからカントリーの中でもマニアックなBluegrassに挑戦。念願だったFlat mandolinを購入。最初は、ルーク・トンプソンの改造品、それから次に、チェコの名器ラヴィダを購入。以後、ブルーグラスに傾倒。Photo_4 50歳から、シーケンサーやパソコンを活用して、作曲や編曲等に挑戦。この時から本格的に夕日綺凛の名前で曲作りに携わる。そのことはワークシンセYAMAHA-MO6を購入。その後、音楽財団が主催する音楽検定も受験し4級と3級と両方を取得。2級に挑戦しようと思った段階で、廃止されてしまった。

55歳からは、今までの音楽面での中途半端を反省し、サックス等の管楽器、その他の楽器をYahooオークションで売却。これからはギターとマンドリンの弦楽器だけで勝負しようと奮起。そうした時、フレンチジャズに出会う。ジプシージャズともいうもので、弦も楽器自体も奏法も異なるもので、私にとっては極めて新鮮であったため、それ用のジプシーギターも購入。Images

65歳の時、これまでのピアノやキーボードをメルカリで売却し、新たにkorgPA300を購入。

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アレンジャー楽器として非常に精度の高く、重宝している。こうした
今までの音楽履歴をもとに、これからの人生、草の根(雑草の如く)の音楽家として再度奮起をしたい。

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