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2009年9月

2009年9月24日 (木)

京都市補助金等の交付に関する条例制定に向けて

今年の2月定例会で大議論となった京都市保育園連盟への永年の慣行による扶助費や補助金の不正流用問題で、私は3月の市長総括質疑において、門川市長に対し「補助金適正化条例」の条例化を強く求めた。これは、不正流用問題を独自調査をしていく中で、市民の視点から補助金の透明性が確保されていないことから発生した問題であるとの認識を深めたからである。この観点で質問を行ったのは、私1人だけだったと自負している。

国はすでに補助金の適正化を図るための法整備がされているにもかかわらず、大都市を中心に全国のほとんどの自治体で、条例化がされておらず、各部署における規則や要綱等で処理されていることがわかった。補助金すべてがNOとは言えない。むしろ適正で公正な判断と市民合意によって支出がされているかどうかのチェック機能が働いていないことから発生した問題である。役職員の責任問題もあろうが、根本的な防止策として私は、補助金適正化条例を求めたのである。京都市はこのほど、「京都市補助金等の交付に関する条例(案)」をまとめ、9月11日より10月9日まで市民パブリックコメントを求めることになった。条例案の制定を強く求めてきた私にとって感慨深いものがある。市民からの意見募集に期待をしたい

。その骨子案の中には、①市長等の責務、②補助金等の交付に当たっての明確に定めるべき事項、③補助金等の見直し、④補助金等の交付状況の公表、⑤補助金等の交付の申請及び決定に係る事項、⑥補助金事業等の遂行に係る事項、⑦補助金等の返還等に係る事項、⑧その他の事項、⑨実施時期などが提案されている。今後市民とともに議論を進めて行かねばならないが、私は現時点でこの原案に対し概ね2点について問題提起をしたい。1点目は、条例の名称に「適正化」等の目指すべき趣旨目的の文言を明記すべきということである。また2点目には、「評価」及び「検証」という条例化を担保する文言や規定を条例に盛り込むべきだということだ。特に③補助金等の「見直し」という文言は、条例規定に盛り込むべき文言ではないのではないかと考える。つまり、条例化によって適正に執行された補助金等の中身が、結果として「不適切」「不正」「適正」「見直し」「廃止」「復活」などを結論が導き出されるものでなければならないと考えるからである。でなければ条例の適正化のための「補助金交付評価条例」をさらに制定しなければならなくなる。行政の「評価条例」の意味もそこから発生したものであろう。したがって、「見直し」という文言よりも、「評価」や「検証」という文言が適当ではないだろうか。それにより、適正化が担保されると思うのである。条例化に行き着くまでしっかりと見据えたい。

2009年9月 9日 (水)

第三の波の政治

先の衆院選で政権交代となり、民主党を中心とする連立協議の行方とともに、自民党や公明党の復権を賭けた船出に注目があつまっている。どちらにしても、助走期間にどれだけパワーをため込むことができるかが課題であるが、未だに政局中心の報道から脱却していない日本社会も課題が山積している。15年前に導入された小選挙区比例代表並立制は、今回の衆院選で政権交代が可能となり制度導入当初の目的を一応果たしたことにはなったといえるが、日本の政治の行く末を憂うならば、民主主義のあり方についても大きな転換点に来ていることを痛感しているのは私一人だけではないだろう。1985年にホワイトハウスにおける戦略的指針としてアルビン・トフラーが示した「第三の波の政治」を今また読み返してみると、今の時代こそ彼の未来学で示された民主主義(政治の在り方)の方向を深く認識しなければならない時代ではないかと思う。すなわち、グルーバリズム社会となり情報化社会に移行し成熟しゆく時代においては、民意は大きく変化するとともに、民主主義すなわち政治の在り方も転換期を迎えるとしている。そして具体的にこうした第三の波といわれる時代における政治の方向性として彼は、半間接民主主義、決定権の分散、少数意見の尊重の3つを上げている。それぞれの方向性の具体的ありようについては、彼の著作の中に明快に記されている。この書籍は、環境問題の第一人者である郡嶌孝先生が紹介していただいた本であり、それ以来座右の書としている。私は1990年市会議員に初当選して以来、この命題に地方議会で挑戦し具現化を目指して取り組んできたが、今の時代こそこの指針を肝に銘じ行動しなければならない時代であると思う。

2009年9月 4日 (金)

Bird's eye (鳥の目)& Worm's eye(虫の目) & Fish'es eye(魚の目)

政権交代劇の熱狂さも一転して、冷静さを取り戻した感がある。それほど熱しやすく冷めやすい国民なのか。それとも時代のスピードのなせる技なのか。ともかく時代の転換期に生きている政治家として「Cool Head and Warm Heart and Clean Hand(冷静な頭脳と熱い心と潔い手」で草の根活動に邁進する決意である。同時に、今の時代をどのように見るかは、これから様々な視点で議論がなされ、分析がなされていくものと思うが、時代を牽引するリーダーに求められる視点とは、巷間言われる「鳥の目」「虫の目」「魚の目」であることは論を待たない。三拍子そろっていなければ時代を生き抜けないというのが、今の企業経営者の常識である。極端な言い方かもしれないが、今の民主党には、「魚の目」が備わっていたのであろう。時代の流れに敏感に反応する力が備わっていたからこそ政権交代にこぎつけたのであろう。一方自民党には、従来から日本の政治を牽引してきた自負があり、「鳥の目」を常に持ちえた政党であったが、次第に「鳥の目」が白内障にかかったようなものだ。結果下野したのである。しかしどちらも「虫の目」を十分に持ち得ていない政党であると言える。草の根の公明党こそ「虫の目」を持った政党であると自負している。新しい時代を創造していかねばならない。

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