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2010年5月10日 (月)

「クリーンな政治」「声の届く政治」「新しい福祉へ」山口代表京都で訴え

京都 新緑の5月9日、クリーンな政治、声の届く政治、新しい福祉へ、のスローガンのもと多様な価値観を受け止め人間主義の政治を貫く公明党の山口代表が京都入りし、市内4ヶ所で講演会が盛大に開催されました。これには浮島とも子参議院議員も参加し、文化芸術の振興こそ国を復興させる起爆剤であり、豊かな国づくりの基本であることを訴えました。山口代表は、失望する鳩山政権の現状を糾弾するとともに、第3極の政治勢力を担うのは公明党であることを力強く訴えました。普天間基地移設問題、政治とカネの問題、高速道路無料化、どれをとっても今や鳩山政権は、何ら対応することなく、失望政権と化しています。また最近の普天間基地問題の対応で実施した沖縄県民との対話集会は、さらに混迷さを増す結果となり、絶望政権となりつつあります。二大政党政治は、政権交代可能にする選挙制度ではありましたが、政権運営をする政党政治家の資質が問われている時代です。「政権交代は何のためにあるのか」との大命題をどの政党も答えていない。口では「国民の生活が第一」と言い放つことはたやすい。昨年の選挙のマニフェストの責任も誰も取ろうとしない、こんな政治が続けば日本の未来はない。民主党の大物政治家が「普天間基地問題は国民の生活には直接関係ない」と、暴言を吐いたようだが、時代感覚のズレの典型である。今の時代は、ちっぽけな事象が世界を震撼させるに足りる影響力を持っている。逆に、大きな世界的事象であっても、私たちの生活に直結することを政治家は知らねばならない。以前から私は未来学者アルビン・トフラーが1980年代に著した「第3の波の政治」の中に、新時代における政治のあり方として「少数意見の尊重」というテーマを提示したことを思い出す。二大政党制では、この少数意見は、闇に葬られる。少数意見とは単なる民主主義制度の多数決に類する言葉ではない。価値観の多様性を意味するものである。言い換えれば生活現場の一人ひとりの意見である。声の届く政治とは、まさに今最も求められている政治の姿ではないだろうか。地域草の根で庶民のそばにいる公明党の地方議員のネットワークこそ、声の届く政治の姿である。

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