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2009年8月31日 (月)

衆院選2009

8月30日に執行された衆議院総選挙が民主党の圧倒的議席獲得と、自民党の歴史的惨敗で終わった。私たち公明党も8つの小選挙区において惜敗したが、逆風の中比例区で800万票を超す庶民結集の票を獲得したことは極めて大きな意味がある。改めて公明党をご支援いただいた多くの皆様に心から感謝したい。

アメリカのキッシンジャー元国務長官が、「日本の改革(リアクション)は、外圧があって15年後に起こっている」と以前、語っていたことがあるが、今回の選挙結果を見て、ペリー来航の15年後に明治維新が起こったことを思い出している。小選挙区比例代表並立制が導入されたのが今から15年前だった。健全な二大政党制を目指すという大義で導入された制度は、今回の衆院選で、実際に政権交代を起こしたわけである。今回の選挙結果は、政治学的にも大きな意味を持つものであろうと私は率直に感じている。今後、分析は様々な観点からなされていくものと思うが、とにもかくにも「政権交代か、政権継続か」という2極化した争点によって、結果的に国民の多くは、「政権交代」を選択したわけである。そこには、政権の生命線である政策の中身を十分に比較し吟味した上での選択であったとは言い切れないものがある。政治上、政権交代はあるべき本来の姿であるが問題は、政権選択で付託を受けた政党・政治家が、その政権を、「何のために」「誰のために」駆使するかである。哲学と理念のある政権運営ができるかどうかである。何よりも大衆に軸足を置いた政権運営かどうかにかかっている。その意味では、新しい政権の動向は、今日まで権力闘争を繰り返し、政策よりも政局中心に進んできてだけに、本当に意味で、「生活実感」の視点に立って、国民の生活を守りきることができるのかどうか、今後の行く末に不安が残る。また、連立による政権運営か、多数をよいことに単独政権運営を取るのかも注視しなければならない。単独政権への模索は、また旧体制と同じことになる。党内派閥による政権担当では、旧来の自民党と同じではないか。成熟した政党政治を確立することが本来のあり方である。連立とは、合意を形成する対話で結果的生じる態勢である。その意味では、4年前の小泉政権300議席獲得と、今回の選挙結果は同じ命題が残されたままである。ネガティヴな議論になりがちな小選挙区制の中で、日本の未来の課題に対して、どれだけ合意形成を図れるかが、政権を担う政党リーダーに求められている。新しく樹立される政権は、絶対安定過半数を確保したが、そのカードは非常に危険性を常にはらんでいる。国民の人気を風に、あれよあれよという間に法案を通し、国民に真に理解なき政策が推し進められば、それこそ後の祭である。

今日の雇用不安や経済危機、或いは老後の不安等は、自公政権にすべての原因があったわけではないであろう。世界恐慌とも言える世界同時経済不況は、どの国も直面している大きな課題である。その打開策が、政権交代がされたからと言って、すぐにでもばら色の政策によって解決できるほど現代社会は甘くはない。新しい政権が打ち出すマニフェストが、単なる麻薬的なものであれば、一時的には享楽となるかもしれないが、その麻薬による後遺症に国民は長く悩まされるというリスクも常に内包していることを忘れてはならない。

二大政党政治は、今の選挙制度によって生み出されたものではあるが、多様化する民意を反映できる政治のシステムの確立がなければ、日本の将来は一層、政策の二極化が進み、混乱を招くことは必至である。私は、今一度「大衆と共に・・・」の立党の原点に立ち返り、合意形成型の政治を貫き、捲土重来を期して、次への戦いに勇躍出発していく決意である。

追記:二大政党政治が更に進めば政策的にも、対立構図が明確となるため、勝ち組負け組の格差がさらに拡大する社会になっていくのではないだろうか。「自民党をぶっ潰す」と言って古い自民党政治を決別した小泉政治の反省はそれを是正することではなかったのか。今「政権交代」と言って古い自民党政治を事実上ぶっ潰した新しい政権も、この問題は避けては通れない。安全保障や憲法問題で歩み寄れない連立政権が政局第一で終始することになれば、小泉政治と同じを轍を踏むことなり、結果的に国民が一番苦しい思いをしなければならないである。

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