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2007年8月15日 (水)

62回目の終戦記念日

62回目の終戦記念日を迎えた8月15日、私は角替府本部代表(京都府議)、竹内譲府本部副代表(元衆議院議員)、井上教子女性局長(京都市議)、久保勝信京都市議、木村力京都市議とともに、京都駅前において街頭から、平和のメッセージを訴えました。

過日の参議院選挙にも影響した元防衛庁長官の「核の使用は仕方がなかった」という主旨の問題発言は、先の対戦の歴史認識時代認識の欠如といわざるを得ません。何よりも人権意識の低下を象徴している発言だと言われても仕方がないものです。その後責任をとって長官は辞任しましたが、果たして反省の上にあってあるべき姿を模索されているのかどうか疑問です。不戦への誓い、平和への誓いを風化させることはあってはなりませんが、戦争反対だけを声だかに叫んでいるだけでは、その行動自体が風化していると言わざるを得ません。私は現在の閣僚や見識のある方々の故意であろうがなかろうが問題発言そものの中に現在の日本の国民が直面している問題の本質があるように思えてなりません。長官や政治家の発言が、その人自身だけの問題ではないことを痛感します。

改憲か護憲かという二者択一の選択は、日本の国民性や政治風土にはなかなかなじまないものかも知れません。現実を直視し不戦の誓いである憲法9条の理念を根幹に、今後の日本の国づくりはあるべきです。日本の平和は今維持されています。しかし何かの関連で戦争に巻き込まれたらどうなるでしょうか。その時に判断するという考え方は非常に危険です。平和は、維持、回復、創造という3つの行動があってはじめて確立できるものです。日本の次代の国づくりのためには、不動の理念を創ることが必要です。法治国家である日本においては具体的には憲法がその鏡となるものです。憲法論議を真正面から論議できないことは、結局自分達の生存を否定することにもなりかねないことを認識すべきです。

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