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2012年1月29日 (日)

日本のこころ史…中西進文学博士

先日、「日本のこころ史」と題して、中西進先生(奈良県立万葉文化館館長・池坊短期大学学長)の講演を聴く機会に恵まれ。中西先生の講演の魅力は、すでに周知の事実だが、文学には縁遠い私が特に魅かれるのは、文学博士であるのに、極めて数学的、数理哲学的な論を展開されることだ。以前先生の講演をはじめて聴いて以来、その思いは今も色あせていない鮮明な印象がある。

さて、「日本のこころ史」とは、中西先生ご自身の学説的言葉ということだが、講演の内容は、主に、「日本文化は700年周期で展開する」という文明論とも言える極めて意義あるものだった。紀元前(BC世紀)前古代の弥生時代から700年5世紀の古代の河内王朝からの700年、そして、12世紀の中世の平家滅亡からの700年、そして19世紀の明治維新から700年、の4つのスパンに縦分け、政権、執政者、政治原理、政権宗教、文化の特質等のカテゴリーで検証すると、19世紀の明治維新後700年後の26世紀までの文明において、時代の底流に流れる文化というものが、どういう特質を持つのかということを歴史に学ぶことが重要であると指摘。

例えば、政権は、5世紀からの700年では王権、12世紀からの700年では、覇権、19世紀の初頭では、民権と分析。また執政者では言えば、5世紀からの700年では、公家、12世紀からの700年では、武家、19世紀からの700年初頭では、官僚?とされている。さらに、政治原理では、5世紀からの700年は律令、12世紀からの700年では、法度、19世紀初頭では、憲法とされ、政権宗教では、5世紀からの700年では、仏教、12世紀からの700年では、儒教、19世紀初頭では、国家神道?とされている。特に政権者、つまり時代の担い手は誰なのかというカテゴリーでは、5世紀からの700年は、天皇、12世紀からの700年は、将軍、19世紀初頭からは、主権在民とされている。

こうした歴史の底流の「意志」を分析されながら、日本の文化(こころの底流にあるもの)の特質として、5世紀からの700年は、、12世紀からの700年は、、そして19世紀初頭からは、となっていることを指摘。この情・知・意の3つの視点は、古代文明からなる各文明の底流に位置付けられるものである。オリオン座の中の三つの星もその思想のようだ。19世紀以降26世紀への日本の未来を見据えるとき、いずれにしても、19世紀以降の日本は、意志の力を涵養する第三の国づくりの時代に入ったというのが講演の結論でもあった。日本文化には、歴史から学ぶ深い知見を有していることを改めて痛感した講演であった。

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