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2010年7月14日 (水)

ラポート・トーク

ラポートとは共感という意味である。つまり共感の対話、共感の演説、共感のことば、ということである。「選挙演説の言語学」(東照二著)や、「演説力」(岩見隆夫著)等、言語力の書籍が最近よく目につく。政治家の言葉の軽さは、歴代首相のまさにお家芸とも言えるほど、最近では当たり前になってきている。これはその首相自身の資質や性格もあろうが、ある意味では、国民の言語力の低下の象徴でもある。明治・大正・昭和の政治家であれば演説に力があったとする書評が多い。平成の時代から、言葉の力は、国民の生命力や、国の経済力の衰えと比例するように低下減少している感が強い。

今回の参院選の結果は終わって見れは、政党政治のあり方、政党の枠組みのあり方、選挙制度のあり方など、様々な問題を提起している。本来は、政策選挙でなくてはならないはずで、事実3年前は年金問題、6年前も年金問題と、国民の将来の社会保障政策が争点となっていた。しかし今回は、消費税10%という実現不可能な、政策を打ち出しての選挙戦に終始した。「消費税10%」の言葉は極めて、生活実感に伴う言葉であり政策である。不況にあえぐ庶民からすればまさに禁句である。しかし、それがさも政策論議のように争われた。

結局、「消費税10%」は言葉として、政治家の言葉として、全く現実味を帯びておらずまさに軽い軽い超薄型合金のように軽いものであったと断言してもいいのではないか。政治家の言葉がまた一層軽くなったのが今回の参院選である。

そのことを考えると今の時代は、21世紀に入って第二期の大きな変革変動期に入ったと言える。その時代に生きる政治家が、敏感にその時代の流れを感じられるかどうかが今後の成長できる政党であるかどうかの分かれ道だ。ラポート・トークのスタイルは、これからの時代を生きる新しい政治家のスタイルでなければならない。

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