安倍首相の辞意に思う
9月12日の安倍首相突然の辞意表明は、与野党を問わず政治家、国民、そして世界各国に至るまでの大きな衝撃であった。翌日から、マスコミ各社、評論家など多くの意見と主張が飛び交っているが、私は「健康上の理由」や「テロ特別措置法への対応の限界」など、辞意の理由は首相自身の説明以上のものはないと思っている。私自身もブログでいくら辞意の原因を分析しても、現実に一国の首相が辞任した事実は何も変わらないからである。むしろいくつもの憶測が飛び交うことになりそれが次の政局に大きな影響を及ぼす議論に発展することにもなり、今は冷静に日本の国の現実と将来を見つめなければならない時だと深く思うのである。
いうまでもなく安倍首相を選んだのは、多数の自民党議員や自民党員であると同時に国民自身でもある。またこの参議院選挙で政権与党に「やいと」を据え民主党をはじめとする野党に過半数を与えたのも国民自身である。こうした中で、安倍首相が辞任した訳だが、ポスト安倍首相、またそれに対抗する民主党も含め、日本の政治は次代の課題に対して新たな政治のあり方を模索し構築しなければならない段階に入ったと見るべきであろう。
政権交代と叫ぶだけでは解決しきれない国内外の課題は、首相を中心として「国民のため」という政治の原点に与野党結集し対処しなければならない時代なのだ。しかし現実の国政では、権力闘争に明け暮れている姿しか国民には写っていないのではないだろうか。安倍首相が折りしも、辞意直前にテロ特措法延長に際し、民主党の小沢党首に「会見」を申し込んだ経過があったが、政治手法の是非はともかくとして、『合意形成』がなぜ図れなかったのか極めて残念である。
新しい次代のリーダシップを考える時、イデオロギーの対立時代は終わったことを深く認識し、多様化する価値観を合意させる力が次期首相には必要なのである。「自民党をぶっ潰す」と言って国民的首相に就任した小泉前首相の対立軸は、「古い自民党」であった。それは戦後政治そのものに対する改革を断行する国民の願望でもあった。その後、小泉首相を支えてきた安倍首相は、その小泉政治の理念と手法を引き継ぎ首相官邸主導の政治を貫こうとした。対立軸を作り政治を行う手法は、55年体制のイデオロギー政治と類似するものである。しかし国民大衆の意識の底には、新しい時代に対応する政治の確立を求めるの命脈がすこしずつ芽生えはじめてきたことを認識していたのかどうか疑問である。一国の首相に対し失礼を省みず言うとすれば、安倍首相の最大の欠点はまずは、自民党内の合意形成を図る努力を怠ったということである。そして首相官邸主導の政治の限界を熟知していなかったということである。首相は自民党の総裁でもなければ、与党の旗頭でもない。『国民自身』なのである。今夏の参議院選挙結果は、まさに次代の政治のあり方を具体的に政治がどのように創り上げていくかという大きな宿題を国民から与えられたのだ。その意味でも今までの政治手法から見ても決して合意形成型の政治家とは言えない民主党の小沢党首のリーダーシップも、今後低下すると私は見ている。これからは「民意」と「合意形成」が大きなテーマとなる時代に益々なるであろう。だからこそ、国民に対し情報公開と説明責任が求められるのであり、そこに一方通行でない合意形成型の政治が求められるのである。
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