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2023年7月

2023年7月27日 (木)

グローバル政治都市・京都へのアプローチ

この度、ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院教授で、同大学院付属ライシャワー東アジア研究センター所長の知日派であるケント・E・カルダー教授の研究書籍「グローバル政治都市」の日本語版が発刊され、さっそく興味を持ち一読したところ。

コロナ禍で開催が危ぶまれたオリンピックを開催した東京。ウクライナ情勢の平和的解決を目指すG7サミット(先進国首脳会議)の舞台となった広島など、国家的課題の解決に向けてのアジェンダを設定し、その舞台を提供した都市の機能と役割が注目されるようになってきている。その意味では、2025年の大阪万博もその役割を果たす舞台となることに違いない。
さて、そもそもグローバル都市の概念は、四半世紀前に社会学者であるサスキア・サッセンが行った、国を枠組みを超えた社会・経済的視点から大きく変貌する大都市の研究で知られているが、カルダー教授は、さらにこれまで国際政治論の世界では、あまり研究対象となっていなかった「グローバル政治都市」としての研究分野に光を当てたものである。グローバル政治都市は、1970年代以降、情報、技術、金融における大変革と地政学の大転換の中で、既にその兆候は生じてきていたとし、グローバル化の急速な進展を背景に、グローバル政治都市が今後の国際政治の中で、重要な視点となることを指摘している。教授はその概念として、①国家の首都において政府が遂行する最も明確な政治の機能としてのガバナンス(統治機構)としての機能、②アジェンダ(課題設定)と政策提言機能、③資源の割り当て(予算配分)という3つの機能を指摘している。そして、グローバル政治都市とは、「国際政治や経済に影響力をもち、ガバナンス、アジェンダ設定、資源分配が集積し機能する政府を超越したコミュニティ」と定義し、また、グローバル政治都市のもつ多面性について、①政策助言複合体としての都市、②講演会やレセプション等の国際会議のような討議する場としての都市、③草の根政治運動の舞台としての都市、④行動する市民リーダーの登場も示唆しながら、グローバル政治都市の対象として、世界の15都市をピックアップしている。具体的には、ワシントンDC、北京、ジュネーブ、ロンドン、ブリュッセル、シンガポール、パリ、東京、ニューヨーク、ソウル、サンフランシスコ、カイロ、バンドン、杭州、香港の15都市である。

グローバル政治都市が、その要素の一つである「権力の半影」といわれる国家の政治機構(ガバナンス)を都市レベルでも対応できる必要性があることから考えれば、国家の首都は、条件さえ揃えば真っ先にグローバル政治都市になりうるものである。15の都市を見ても、国家から都市へのシフトの研究であるがゆえに、当然、国を代表する首都たるべき都市に光が当たっていることは避けられないが、今後、グローバル化、ネットワーク化が更に進み、国家からグローバル政治都市にシフトする流れは加速することを見据えれば、グローバル政治都市自体をサポートする、次なる都市(サブ・グローバル政治都市)の存在も生まれてくるのではないかと政治に身近なところで接してきた地方議員経験者の一人として感じている。それは、政治を志して以来、一貫して感じてきた、未来学者アルビン・トフラーが指摘した21世紀グローバル時代における民主主義の行方を政治家として肌身で感じてきたからである。ただこれは、「グローバル政治都市のネットワーク化の行方?」とでも言える今後の研究課題であり、カルダー教授をはじめ後世の専門学者の研究に委ねたい。

今年、文化庁が京都に全面移転し、国家の統治機構の一部が京都にきたが、今後急速に進展するグローバル社会の中にあって、京都はどういった都市になるべきなのか、世界に対してどのような役割を果たすべきなのか等、世界自由文化都市宣言の今日的意味を再考し、未来ビジョンを再構築する必要性が高まっていることは確かである。文化を基軸にしたソフトパワーによる国際問題を解決する舞台としての都市、あるいは、世界歴史都市連盟等、世界をつなぐネットワーク力を最大限に活かす都市など、考察する意義はあるのではないか。カルダー教授の「グローバル政治都市」へのアプローチは始まったばかり。グローバル政治都市・京都へのアプローチ如何によっては、カルダー教授の定義に、新たに「グローバル文化都市」との視点を加えることのできる唯一の都市が京都ではないだろうかと感じさせた一書である。

2023年7月11日 (火)

聴くチカラ

人間社会におけるコミュニケーションは、言語・聴覚・視覚を通じて成り立っている。この3要素をもとに、人は相手の思いや考えを察知し、良好な関係を築いたり、逆に拒絶したりし、バランスをとりながら関係を維持している生き物である。
幼少の頃、SFに興味を持ったことがあったが、その時、宇宙人と称される想像絵のほとんどは、頭が大きく、あごは小さく、目は白目がなく真っ黒で大きく、口は米粒ほどという、イカの化け物のようなものであった。当時、人間が進化した未来で、何でこんな変てこな姿をしているのだろうか?と不思議に思った記憶がある。しかし「宇宙人は、私たちの未来の姿」と考えれば、当時の宇宙人の姿は、今から思えば確かな科学的根拠から導き出された結果の産物だったのかも知れない。何か現実離れしている過去とは異なり、今の時代の状況を見れば、宇宙人の姿は確かな実感を伴って迫ってくる。例えば、目は、黒目の瞳と、白目の部分に分かれているが、白目は、人間がコミュニケーションを図る上で、顔や目の表情を多彩に演出する役割を担っていると言われているが、メールやSNSでやりとりが横行する現在では、すでに無言(言語のみ)でコミュニケーションが成立している。その意味で、白目が必要でなくなり、それは同時に、直接話すことも必要がなくなることから、口角や舌も使わないため口周りの筋肉も退化していくのではないかとの仮説も成り立つのでは。一方、頭脳だけは活発化することは間違いなく、今後、AI(人工知能)によってさらにコミュニケーションのカタチが模索されていくだろう。
アメリカの心理学者アルバート・メラビアンは、1971年に、人のコミュニケーションに関する研究において、「メラビアンの法則」という心理学説を発表した。この法則は、別名「7-38-55のルール」とも呼ばれ、ビジネスマンのスキルアップにも活用されている。
メラビアンは、人間は他人とコミュニケーションを取るとき、言語・聴覚・視覚の3つの情報から相手を判断していると仮説を立て実験を行った結果、言語・聴覚・視覚にそれぞれに伝わる度合いや割合があることを明らかにしている。すなわち、言語は7%、聴覚では38%、視覚では55%というのである。しかし一方で、言語や聴覚が、視覚と比較して数値が低くなっている研究が、一面的に切り取られ「人は、話よりも、見た目や表情で他者を判断する」という一部本来の主旨でない解釈がされたことは注意が必要である。コミュニケーションは、この3要素のバランスで成り立っていることを彼は指摘したかったことを忘れてはならない。
言語・聴覚・視覚の3要素の中でも特に重要視されるのが聴覚である。フランスの作家は「声は第二の顔である」と言ったが、姿や形はごまかせても、声はごまかせない。イギリスの科学雑誌ネーチャーに、「なぜメディア情報に人々は騙されやすいのか」という実験結果が掲載されたことがある。検証実験は、新聞ラジオテレビを使って、同一人物が真実を語るインタビューと、嘘をついているインタビューを並べて掲載、放送し、読者や視聴者に嘘を見破ってもらうというものである。その結果は、人々が一番騙されやすいのはテレビ逆に4分の3もの人が嘘を見破ったのは、ラジオであった。新聞はその中間であったというのである。
「声こそ真実」であるが故に、時代が大きく変化したとしても人と人とのコミュニケーションのカタチは、「声」にあることを肝に銘じたい。その声を聴くチカラが一層求められる時代である。

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