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2009年10月18日 (日)

予言成就と民主主義

10月16日付けの地方紙朝刊に、オバマ米大統領へのノベール平和賞に係る批評論文が掲載されていた。筆者は、京都大学のメディア史研究の第一人者である佐藤卓己准教授である。以前、教育政策の研究のために直接ご講演を伺った先生で、それ以来ファンとなって先生の著作をしばしば読まさせていただいている。その批評の中で、注目を引いたのは、社会学で指摘されている「予言の自己成就」という概念である。オバマ大統領がまだ、人類の平和への貢献という具体的な業績をあげるまでには至っていない段階で、ノーベル平和賞を授与したことに驚き、この時代状況を先生として分析されているのである。その中で、社会学で言われる、「予言の自己成就」という概念を引用され、「根拠のない予言でも人々がそれを信じて行動すると、結果として予言どおりの現実がつくられるという現象」に対して論じておられるのである。

日本社会の今と未来を考えると、この概念は非常に重要な視点である。ましてや政治の分野ではなお更である。小泉劇場といわれた前回の選挙意向、二大政党政治を模索する小選挙区比例代表並立制の弊害により、日本の政治は益々、「予言の自己成就」という方向になりつつあるのではないかと危惧していくからである。民主主義を支えるのは、いうまでもなく扇動家ではなく、草の根の庶民であり大衆でなければならないと改めて痛感している。佐藤准教授は、別の著作で「世論(せろん)」と「輿論(よろん)」ということを研究され問題提起されている。社会の動向をすべて「世論(せろん)」としている現代の社会の風潮を乗り越え、民主主義の基盤である「輿論(よろん)」としての、民衆自身の冷静な主張が求められる時代である。折りしも11月にはオバマ大統領が来日し、広島への訪問も期待されるところだが、オバマ劇場にわが国がなってはならないと思う1人である。ノーベル平和賞が、世界平和へのプロセスを重要視した今回の表彰であったことは多いに評価するものある。それほど、世界平和への勇気ある対話と行動が人類にとって困難を極める課題であることの裏付けである。

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