海に恋してる(ザ・リガニーズ)
1960年代の後半、早稲田大学のフォークを奏でる学生の5人がグループを結成した。グループの名前の由来は、彼らの歌をじっと聞いていたザリガニをもじって、ザ・リガニーズとしたことは有名な話である。当初は5人のメンバーだったが、その後4人になり定着した。2009年のおじさんバンドの動画。
1960年代の後半、早稲田大学のフォークを奏でる学生の5人がグループを結成した。グループの名前の由来は、彼らの歌をじっと聞いていたザリガニをもじって、ザ・リガニーズとしたことは有名な話である。当初は5人のメンバーだったが、その後4人になり定着した。2009年のおじさんバンドの動画。
YouTube: Glenn Frey - Route 66
ナットキングコールで有名になったジャズスタンダードの曲「ルート66」。とにかくかっこい曲で、日本のジャズミュージシャンの多くが演奏している。
エリック・クラプトンが、来日をした際に、ライブのアンコール曲に「Over The Rainbow」を渋く演奏し歌ってから、ロック歌手が、ジャズを歌うことに先鞭をつけた。
イーグルスのグレン・フレイが歌うルート66も渋い。バックミュージシャンやバンクダンサーがいい。
YouTube: テネシーシャンティボーイズ ホンキートンク ライブ 第3弾
YouTube: テネシーシャンティボーイズ ライブ 京都ホンキートンク
京都のカントリー界で60年以上も君臨してきたのが、テネシャンと呼ばれているテネシーシャンティボーイズである。昭和のカントリーの草分け的存在。石橋イサオ、采野弘和、中村昌二を中心におそらく70歳を超えた今もがんばっておられている。石橋さんは、歌唱力には定評がある。永遠にがんばってほしいものだ。
ITOHANというグループがある。永年京都で地道な活動を続けているフォークグループがある。彼らは、同じ高校出身で当時から音楽バンドを結成し、特にかぐや姫やふきのとう等の歌を中心に歌い、10年ぐらい前に、RYUCOM(リューカム)というグループでライブに出演してきた。
5年前東日本大震災の復興支援を機に、京都で開催されたイベントに出演した時、臨時的にバンド名をITOHAN(イトハン)として参加したようだ。ネーミングの由来を聞くと、「いとはん」と発音すると京都のバンド名らしく聞こえる。実は東日本大震災を支援するため「絆」という文字に着目し、「糸へん」に「半」とかいて「絆」と読むことから、「イトハン」としたようだ。
とにかく、リードヴォーカルの林寿哉と、リードギターの二木興三の2人のフォークは、もうすぐ60歳になるおじさんデュオだが、今も色あせることなく輝きを増すだろう。
YouTube: Americas Bluegrass Gospel Show Part 1 or 3
YouTube: America's Bluegrass Gospel Show - Nine
カントリーの本場アメリカには、数多くのカントリージャンルがある。ゴスペル系のブルーグラスミュージックもそのひとつ。まさにマニアの世界。町の小さなライブハウスで、日常的に開催されているブルーグラスゴスペルショーというのがある。これぞアメリカといった感じ。
J.D.クロウ&ニューサウスや、ドイルローソン&クイックシルバー等、いわゆるトラッドグラスといわれる伝統的なブルーグラスグループが多く出演している。演奏だけでなく、アカペラ(無伴奏の合唱)も聴きどころ。
日本人は、ブルーグラス楽器を器用にこなし、本当にコピーもうまいが、やはりマネができないのがヴォーカルだ。カントリーに造詣が深い音楽評論家の清水敏夫先生も、「ブルーグラスやカントリーは何と言っても歌唱力」と言われる所以である。
YouTube: Mike & The Mechanics - The living Years
YouTube: Paul Carrack The Living Years Live On Songs Of Praise.flv
YouTube: The Isaacs - The Living Years
リビング・イヤーという曲は、グラミー賞にも輝いた曲で、ポールとマイクの二人で結成したメカニックスというグループが歌った名曲。父親と息子との葛藤と絆と宿命を歌ったものだ。ゴスペルグループのアイザックもブルーグラス風にアレンジして演奏している。
YouTube: The Isaacs - Hallelujah With lyrics!
ゴスペルヴォーカルグループのアイザックス。ブルーグラス界でもゴスペルグラスとして君臨している。ハレルヤは、まさにゴスペルソング。とにかく幅広いジャンルの歌を自分たち風にアレンジしていい味を出している。
はしだのりひこ、加藤和彦、北山修のフォーク・クルセイダースは、中学時代のフォーク全盛期を創り上げた学生フォークの雄だった。中でも、「戦争は知らない」は私がギターを覚えたころの最初のレパートリー曲。特にCコードからDm7へ移行するコード進行に酔いしれたものだ。
加藤和彦がアルフィーの坂崎といっしょにウクレレでやっているライブもいい。
カントリーフォーク系のシンガーソングライターだった麻田浩の曲。私が高校時代のバンドでよく演奏した曲だ。当時は、小阪忠とフォージョーハーフや、細野晴臣のハッピーエンドが盛んなころで黄色いくじらも演奏していた。麻田浩の音源は、カントリータッチで軽快なものだった。スティールギターや、フィドルの間奏が印象的だった。
動画映像が残念ながらないようなのです、外国女性デュオのベッツィ&クリスの音源を紹介します。
私は、ミーハーではないが、山口百恵の夢先案内人は、思い出があるのでアップします。私が大学生の時代に、レコード屋にアルバイトをしている時、そこのオーナーさんが、ビクターやパイオニアが主催する業者を集めて行う音楽会議にお店の代表として参加させてもらった。新しい曲等について市場に出す前にレコード店等から意見を聞く会というようなもの。ある時、山口百恵の新曲ですと言われて「夢先案内人」が発表された。当然本人の山口百恵は会場には来ていない。レコードだけだったが、私に感想を求められたので、「このイントロは、イーグルスのニュー・キッド・イン・タウンっぽいですね」と言ったら、後からある会社から「君、私のところに就職しないか」と言われてびっくりしたことを思い出した。
ヤマハのポピュラーコンテストとともに、世界音楽祭、東京音楽祭等が盛んに開催された時代に多くのミュージシャンが誕生した。中島みゆき、八神純子、ツイスト、クリスタルキング等である。六文銭の「出発の歌」もそのひとつ。上條恒彦(当時NHKの教育番組だったか朝早く農村番組に出演していた)のボーカルと、小室等のアルペジオギターで始まるイントロがよかった。このイントロは、サイモンとガーファンクルの早く家へ帰ろうやアイ・アム・ア・ロックとよく似ておりコピーした。
ヤマハのポピュラーコンテスト(ポプコン)は、1970年代から80年代にかけて若者をターゲットにした音楽文化を担う役割を果たした。実は、私も大学生の時、三つの時というバンドで、出場したことがある。しかし予選で敗退したが、大阪心斎橋のヤマハスタジオでプロ並みの録音をさせてもらったことは今でも鮮明に覚えている。ヤマハ18のギターがスタジオでの録音では、イコライザー等で処理され、すごい音に変身していた。
さて、円ひろしの夢想花は、そのコンテストで堂々1位となり世界音楽祭で1位になった曲だ。とんでとんで・・・と歌う時にバックでハモッていたのが、何と、京都で活躍されている栗崎博光さんだったとは後で知った話。
クリス・ヒルマン。1970年代のアメリカのミュージックシーンを駆け抜けた男の一人。バッファロー・スプリング・フィールド、フライング・バリット・ブラザーズ、マナサス、サウザー・ヒルマン・ヒューレー・バンド、ファイアー・ゴールド、バーズ、とにかくウエストコーストの音楽をリードした主力バンドのほとんどに参加している。彼もよく来日しているようだ。
YouTube: "Country" by Keith Jarrett
続いて、マイソングと同じアルバムに収めてあったCountyという曲も名曲だ。サックスは、Jan Garbarek。哀愁の漂わせながらもシンプルな演奏だ。
YouTube: Keith Jarrett- My Song 1978
YouTube: Keith Jarrett - Jan Garbarek - ' My Song '
私が大学時代にキーボードをやり始めたころ、ジャズピアノの曲も聞くようになった。その時、衝撃的な出会いがあった曲が、キース・ジャレットのマイソングである。
本当に美しい。繊細なサックスのメロディ。今でも感慨深いものがある。