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2010年2月

2010年2月26日 (金)

予算委員会(都市計画局)

2月25日から、2010年度の一般会計予算案の審議をする予算委員会がスタート。私は第二分科会に所属。25日には都市計画局の審議がありました。冒頭、局の公共建築部の係員が収賄容疑で前日に京都府警に逮捕された内容について、謝罪と報告がありました。前日の23日~24日の本会議でも門川市長が市長就任2年の総括した答弁で、不祥事の根絶と刷新ができたとの意見表明もあった直後の不祥事の発覚。公務員倫理の再構築の必要性を痛感した。採用経歴や、職場での常日頃の仕事ぶり、その他の関係者の可能性等、今後詳細が判明した段階で常任委員会で徹底した議論が必要である。市民の信頼を勝ち得るためには並大抵の努力ではできない。しかし信頼失墜は一瞬である。まさに「建設は死闘、破壊は一瞬である」。私は常々、公務員倫理観の一層の確立のために、市民の代表である議会の議論や緊張感を公務員の現場職員にも痛感してもらうことが、必要だと考えております。具体的には、常任委員会での市会答弁者に課長を加え、課長レベル職員に答弁をしてもらうということです。他都市でも実施しております。部長や局長がいくら自覚してもその思いが現場に伝わらないということが問題である。今後の議論に託したい。

さて、都市計画局の2010年度予算には、分譲マンション共有部分バリアフリー改修費助成制度の創設、地域連携型空き家流通促進事業、歩くまち京都の総合交通戦略、京都駅南口駅前広場の整備、進化する景観政策、洛南新都構想等、21世紀の京都のまちづくりの方向性に向けたまちづくり予算が審議された。とりわけ、歩くまち京都憲章による公共交通戦略について議論が集中した感があった。

2010年2月24日 (水)

代表質疑に登壇

2010年度京都市予算案及び関連議案に対し、私は久しぶりに公明党市会議員団を代表して同僚の柴田章喜議員(左京区)と井上教子議員(下京区)とともに質疑を行いました。私は、市長の財政運営方針、政権交代による京都市財政の影響、市債の発行、消費者行政の体制整備、国民読書年の取組、コミュニティ条例、進化する景観政策、不正取得された戸籍等の本人通知制度の創設のテーマに質疑を行いました。会派としては4番目となるため、他会派の質疑内容とダブルことがほとんどですが、今回はまったくダブルことなく公明党の政策提言を踏まえた質疑内容でした。25日からは予算委員会がスタートします。予算案の内容の詳細についてしっかりと審議をいたします。3月19日までの間、市民に目線に立った政策をしっかりと提起していきたいと思います。

2010年2月16日 (火)

希望の家創立50周年記念の集い

2月14日のバレンタインデーの日、南区の東九条にある希望の家が50年の歴史を迎えたことを記念して、地域の方々や希望の家で働いてこられた関係者の方々が多数参加され盛大に開催されました。これには、角替豊府会議員とともに、私も参加しました。希望の家は1959年4月30日、劣悪な生活環境であった地域に住む人々を支援するため、メリノール宣教会のフランシスコ・A・ディフリー神父の熱い志からはじまった地域福祉センターです。名称も地域の子ども達の発意により「希望の家」と名づけられた歴史を持っています。当時の時代背景を見るとき、生活環境が大変厳しい状況であったにもかかわらず、子ども達や大人たちの心が純粋で、生きる力に溢れていたからこそ、希望という名前が付いたことに思いを馳せ感動した次第です。記念の集いでは、前川修希望の家所長の開会の挨拶のあと、村上真理雄カリタス会理事長、梅林等希望の家バザー実行委員会が今日までの熱い思いを語られました。特に、市会議員の先輩である梅林等先生の記念誌でのコメントには、「希望」貴重な視点が書かれていました。「東大の姜尚中教授が近刊の綜合雑誌に日本に取り戻したい希望のタイトルで希望について述べていた。東大社会科学研究所が希望学講座を立ち上げた。希望は幸福とは似て非なるものです。希望はトゥゲザーでなくてはなりません。誰かとともに、誰かのためにそれが希望の源泉です」・・・と。そして最後に崔忠植希望の家保育園園長さんが閉会に挨拶をされましたが、「ために」ではなく、「ともに生きる」「ともに生きてきた」「ともに生きていく」という心があったからこそ50年の歴史を刻むことができた」との言葉は50年の歴史を更に光らせるものでした。

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