2024年1月 8日 (月)

ポストコロナ社会を視る目

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上の地図は、1994年(平成6年)日本の富山県が自県を中心に作成したした300万分の1の縮図の、富山中心正距方位図と呼ばれる地図で、北が上とはなっていない非常に珍しいものだ。地図の配置が通常私たちが学校教育や、天気予報等で見る日本地図のカタチとは、まったく異なり中国やロシア、朝鮮半島等、アジアから日本を見た逆転の配置である。私が議員在職時代に、ある市会事務局長の執務室に貼ってあったもので、この転倒・逆転ともいえる地図を見た時の衝撃は今も鮮明に覚えている。子どもの頃に地球儀をはじめて手にした時のような感覚で、まさに価値観、世界観が大きく変わるものだった。

正距方位図法(せいきょほういずほう)は、中心からの距離と方位が正しく記され、地球全体が真円で表される投影法で方位図法のひとつとされる。詳細を調べると、中心に対し地球の裏側にあたる1点が円周となり、円周に近づくほど引き伸ばされるために、歪みが大きくなる性質を持つ。この図法は、飛行機の最短経路や方位を見るために活用されているようだ。また、下の図にあるように北極点を中心とした正距方位図法で描かれた地球地図として国際連合の国連旗にもデザインされている

今、新型コロナ感染症の世界的流行によって、私達の生活や社会そのものが大きな転換期を迎えている。アフター・コロナ、ポスト・コロナ社会がどのような未来になるのか、そこに生きる私達人間にとって、どう向き合うべきなのか、未来予測への確かな視座をもつことの意味が一層重要になってきていいるのではないかと自問している。私は、2013年11月に、先ほどの一風変わった富山中心正距方位図を紹介しながら、時代を見る視座として「鳥の目・虫の目・魚の目」に加え、第4の目を持つことの必要性をこれまで事あるごとに主張してきた。

振り返れば、2013年11月のブログ投稿では、次のように述べている。

引用➤アメリカの1㌦コインには、「epluribus unum」とのラテン語が刻んでありますが、これは、「多様性の中の統一」という意味で、今後人類に課せられたテーマとなっています。物事を真理を射る目(視座)には、時代の全体観に立った視座(鳥の目)、時代の部分観に立った視座(虫の目)、そして時代の流れに立った視座(魚の目)が必要です。この地図を見ると、ロシアや、中国や、朝鮮、韓国等から見た日本は、私たち日本人が常日頃見ている地図とは異なるため、まったく頭の中の発想が逆転します。アジア外交、アジアの平和といっても、相手を認める寛容性や多様性を十分に認識した上でないと、議論や対話は常に一方通行になりがちです。視座を考える自身の立ち位置によって、考察に変化を余儀なくされることにもなります。鳥の目、虫の目、魚の目に加え、新たな視座(視点)を持たねばならないと痛感します。それは、逆転の目ともいえるのでしょうか。多様性の目、寛容の目とも言うものでしょうか。その視座の確立こそ、「多様性の中の統一」に合致するものです。と…。

時代は、ソサイティ5.0社会へ着実に進んでいるが、コロナ禍の影響で更にこの流れは加速するものと考えられる。世界秩序が壊れ平和が脅かされる今、一層多様性の尊重が求められる時代に直面している。こうした時代の転換点にある中で、多様な社会的課題を解決するためには、鳥の目・虫の目・魚の目に加え、第4の目(視座)を持たねばならないことを痛感する。昨今巷では、その第4の目について、コウモリの目や、ナマケモノの目とも言われているようだが、コウモリやナマケモノは、常に逆さの状態で生活をしている動物だからそうだ。逆さに見る視座を持つことの意味は、言うは易く行うは難しでそう簡単にいくものではない。それこそ価値観の転換なくしてはその目は持てないだろう。しかし冒頭に示した富山中心正距方位図を見る限り、逆さまの目を持つことを体感じさせてくれる。この地図は国土や海が描かれている(鳥の目)が、そこに生きる人間(虫の目)に視点を置いて考えれば、朝鮮半島の人々は日本をどのように見ているのだろうか、ロシア人や中国人をはじめ世界は、日本人をどう見ているのかという視点に立たざるを得えない。その意味で逆さまの目とは、他者を思う目であり、利他の目でもあると言えよう。国連を中心とする対話外交と言っても、コウモリの目、ナマケモノの目を共有しなければ解決はしないだろう。世界秩序が脅かされている今だからこそ、国連旗にも象徴的に配置されている正距方位図法で描かれた世界地図の中心点は、どこかの国ではなく、「北極点」であり、平和の回復と維持と創造の旗手となる国際連合であることを私たちは肝に銘じなければならない。

翻って、この逆さまの目(コウモリの目)は、新型コロナウイルスの感染源としても指摘された動物であったことから考えると、ネガティヴに考えれば忌み嫌われるべき存在かもしれないが、ポジティヴに考えれば新型コロナ感染症は、人類に新たな視座を持つことの意味を提起しているのかも知れない。

 

2024年1月 7日 (日)

ツーリズム ~次の京都観光の道筋~

観光政策の分野で多用される言葉として「ツーリズム」があり、持続可能な観光を目標とするサスティナブルツーリズムや、レスポンスツーリズム等、観光や旅行という理念的な概念の英語表記や、弊害としての観光の意味に使われているオーバーツーリズムに加え、近年、観光や旅行の具体的な目的等の方向性を示す表記として、国や自治体の観光戦略の中で、その地域の特色を活かす観光戦略に様様な名称が使われるようになっている。

●サスティナブルツーリズム(持続可能な観光)

●オーバーツーリズム(観光公害)

●レスポンスツーリズム(責任ある観光)

●ストレスレスツーリズム(ストレスのない観光)

●グリーンツーリズム(農村等での休暇滞在観光)

●エコツーリズム(自然環境体験観光)

●アドベンチャーツーリズム(自然、文化体験観光)

●メンタルヘルスツーリズム(健康増進等を目的とする観光)

●ヘルスツーリズム(健康増進等を目的とする観光)

●ウエルネスツーリズム(健康増進等を目的とする観光)

●メディカルツーリズム(医療目的のための滞在観光)

●スポーツツーリズム(スポーツ観戦体験等、音楽を目的とする観光)

●ミュージックツーリズム(コンサート等を鑑賞する目的の観光)

●アンダーツーリズム(ローカル穴場観光)

●サブスクツーリズム(利用権観光)

●クラブツーリズム(会員制観光)

●スマートツーリズム(情報最先端技術を活用する観光)

●サイクルツーリズム(自転車観光)

●ウォーカブルツーリズム(歩く観光)

●ガストロノミーツーリズム(食文化観光)

●ロケツーリズム(映画、ドラマ、アニメ観光)

●ダークツーリズム(被災地、戦争跡地等を対象する観光)

●宗教ツーリズム(宗教と関わりの深い地域をめぐる観光)

●ピースツーリズム(広島市の観光戦略)

●スマイルツーリズム(小笠原村の観光戦略)

等々、例を挙げればきりがなく、観光目的の分だけ無数にある状況と言えよう。

そもそも、ツーリズムとは、継続して1年を超えない範囲で、レジャーやビジネスあるいは、その他の目的で、日常の生活圏の外に旅行したり、滞在したりする活動を指し、訪問地で報酬を得る活動を行うことと関連しない諸活動と定義されているようだ。レジャー等休日の遊びといった印象のある観光や旅行の概念とは少し異なり、ツーリズムは、ジャンルによって教育や学習、産業振興、地域交流等、様々な側面をもち、多種多様な目的によって人々が動く事象をまとめて表現したものとなっている。ツーリズムの語源由来は、ラテン語の「ターナス(tornus)」で、巡回・周遊・回転・回旋という意味。

このように表現が氾濫する背景には、観光のあり方が大きく変わり、観光スタイル自体が変化していることがある。特に、コロナ禍を経験した私たちは、価値観が変容する中で、生活様式や行動の変容へと向かっている。こうした中で、観光目的の多様化が今日の状況を創り出しているのであろう。

こう見てくると、京都が目指す次の観光戦略も、そのあるべき方向の一つが見えてくるのではないか。文化庁が京都に全面移転したこの機を逃さず、観光戦略の根幹に「文化の光」を位置付ける京都においては、文化を単なるCultureと訳すのではなく、ValueとStyleで捉え、京都が最も得意とする「文化の価値」をデザインすることが求められているのではないか。

京都ほど観光資源が多様で豊富な都市はない。京都は、洛東、洛西、洛南、洛北、洛中と5つのエリアを構成しているが、それぞれの地域に見合ったコンパクト観光の戦略を立てることも重要である。京都交響楽団を有する京都の特色を活かす音楽ツーリズムや、映画発祥の地・京都を活かすロケツーリズム等、京都の新しい観光スタイルの新基軸を創出されることを期待したい。

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